コーヒー稼業から退き、第二の人生を歩んでおります。
長きに渡り更新していなかったブログ、まだ機能しているか、テストしています。
長い間ブログの更新を怠ってしまいました。
2年前、眼を患い入院していました。当時からからだのあちらこちらに異変を感じ、その一つひとつは致命的ではないにせよ、急激に衰えを感じていた時期でもありました。幸い会社の方は若い人たちの頑張りで滞りなく運営でき、私は無事療養を終え仕事に復帰することもできました。しかし自分の中に以前とは違う気持ちが芽生えていました。
「引退」・・・自分で決めていたにもかかわらず、直視したくない事でもありました。結果、心に穏やかでない波が立つのを感じざるを得ませんでした。そんな時に起こったのが新型コロナ騒動。人生には上り坂、下り坂がありますが、こんな「まさか」が待ち受けているとは・・・。会社の存亡に係わる緊急事態で次期社長の息子とも激論を戦わすこととなりました。こんな大変な時期に引退などできない、との思いでかなりきついことも言ってしまいました。
今思えば会社への未練が大きかったのかもしれません・・・。引き継ぐ準備を粛々と進めてくれたことに感謝し、これからも奮闘してくれるであろうスタッフの皆さんにエールを送りたいと思います。
ブログ上でのご挨拶が大変遅れて申し訳ありませんでした。
今までお引き立て頂いたお客様、取引先の皆様に心よりお礼申し上げます。
私の近況はフェイスブックにてご確認ください。更新されている限り・・・生きています。
突然、目が見えなくなり始めた。
予兆はあった・・・
最初は左目で、砂をぶちまけたように視界にゴミが浮遊しだしたのだ。
「飛蚊症」と言う症状で網膜に裂けめが出来たのが原因らしい。直ぐに近くの眼科医院でレーザーを使って網膜を固定して事なきを得た・・・が、今度は右目に来たのだ。同じようにレーザーで施術したが、今回は固定できず、その翌日に右目に漆黒の闇がかかり始めた。
網膜剥離だった。信大付属病院を紹介してもらい即手術。2週間の入院を強いられた。しかも網膜を固定するためにガスを眼球内に入れたため、ずっと顔を下に向けていなければならず(そうしないとガスが反転してしまい網膜が再度剥離してしまう)、そとから見たらなんとも暗い印象だった事だろう。寝るときもずっとうつぶせ・・・。「このまま失明したらどうしようか、片目はまだ多少見えるからなんとかやっていけるだろう、隻眼のギタリストも悪くない・・・」などと妄想も膨らむが、このさい普段考えない事をとことん考えてみようか・・・とベッドにうつ伏せになりながら思い至る。
なにを考えようか・・・家族の事、会社の事、政治の事、経済の事、そして音楽の事、
家族や会社の皆にも関わる事なので、今の政治や経済について文字通り「暗中模索」のうつ伏せにて考えてみた、のこころだ・・・
(この言い回しがわかる人は間違いなく昭和世代,^^)
さて、インフレ、インフレ、と安倍さんは言うけれど・・・インフレーションが起こればそれでいいの?
むずかしい経済の理論はさておいて、庶民感覚でお金のことを考えてみた。
インフレかデフレか?日銀は政府の御用銀行と化し、銀行が買いまくっている国債を際限なく引き受ける。お札は刷り放題、ジャブジャブの超金融緩和は確かにお金にまつわる人々のモラルを下げた。富の偏在を増長させたことにより、都市部と地方経済の実態を極端に乖離させてきたようにも思う。日銀は株さえも買い支える、しかも当然ながら上場企業の株だけだ。地方の非上場企業は全くその恩恵を受けない。淘汰されるべき企業も超低金利のぬるま湯にどっぷりと浸かり、さらに株の買い支えによりゾンビのごとく復活している。政府、日銀は結託して御法度の「財政ファイナンス」を実質的に堂々とやらかしているのだから恐ろしい。「財政規律が緩むとモラルが低下する」という経済の教科書どおりの事が現実の事となり新聞紙面を賑わせている。キャッシュが湯水のようにわいてくるのは株価が実態以上に膨らんだ上場企業ばかり。
そんな企業の平均年収ばかり報道されて、もっと給料を増やせ、時給を上げろ、と脅迫めいた論評が並ぶ・・・
給料はいつだって上げたいわい!大体、地道に働き、全うな価値を作り出している(つまり貨幣の本当の価値を作り出している)労働者に対して失礼な態度だ。地方のまっとうに生きている市井の人々はまっとうなお金で生活を立てているのだ。
インフレはデフレよりも良いことなのか?・・・何か違うような気がする。
私たちの世代は子供だったとはいえ高度成長期を経験してきた。確かに高い経済成長は成し遂げたかもしれないが、インフレも凄まじかった。父親の給料も年々上がったようだがインフレには届かない。母親の家計のやりくりは大変だったように記憶している。しかし実体経済が右肩上がりだったのでまだ救いはあったように思う。
しかるに今度インフレが本格的に起こったとしたら、それは悲惨なインフレ体験になるのではないだろうか。実体経済は縮小していくのだから・・・。
こんな事をベッドの上で悶々と考えていたら、病んでいた義父の悲報、台風21号直撃、大雨水害、北海道地震、と驚くべき事が次々と起こる。
しばらく思考停止。手術直後の訃報だったので大切な人の最後の別れに駆けつけること叶わず・・・。
面白い本を読みました。国際ピアノコンクールを舞台とした若者たちの物語。
ピアノが家庭にある人は少ないことでしょう、まして専門的な音楽教育を受けている人はさらに少数にすぎません。でもこの小説はクラシックに詳しくなくても文句無く楽しめます。私もピアノなど習ったことがなく、もちろん家にもありません。子供のころは野球に明け暮れ、中学、高校はバレーボールやスキーとバリバリの体育会系でした。ただ、亡くなった母は非常に歌がうまく、部活に疲れて家に帰るといつも料理をしながら歌っていたのを覚えています。
そんなある日、「うたう楽器」ギターに出会ったのです。発弦楽器でありながら減衰しつつも高音部のメロディーを歌わせる事が出来、和声的、対位法的な音楽性も楽しめるこの楽器に夢中になりました。一日6~7時間毎日練習し続けたこともありました。ある日、師事していたY先生に「コンクールに出てみたい」と申し出てみたところ・・・「やめておきなさい!」と強くたしなめられました。続けて・・・「私みたいになりたいのですか・・・」・・・先生は「赤貧洗うがごとき生活」つまり厳しい財政事情だったのです。それからさらに「立派なアマチュアになりなさい。アマチュアの語源は愛する人なのですよ」と仰いました。おお、イタリア語のアモーレ、ラテン語のアモル(amor)(愛する)から来た言葉なのだ、と気がつきました。それを生業にする事でお金を稼ぐ人がプロならばそれを「愛し続ける」ひとがアマチュアと定義すればアマチュアの見方も変わってきます。さらに続けて師は言われた。「プロよりも立派なアマチュアはたくさんいますよ」。生活の糧を他の道で得て、大切なものを愛し続けること、それはむしろより困難な道かもしれません。時間も体力もあまり残されていないかもしれませんが、一生をかけて続けていけば、また人と比べることをしなければ、それは悔いない人生と言えるのではないでしょうか。
失敗ばかりの20代でしたが信州に移り住んで10年後、国内のギター重奏コンクールに一緒に出ないかと地元でギターを教えていらっしゃる方に誘われました。Y先生との約束もあり、固辞したのですが、その方の強い要望に押し切られる形でエントリーすることになりました。久しぶりに必死に練習しました。この何かに夢中になる感覚は好きでした。結果、一位を頂きました。(コンクールは確かに人と比べられますが、この物語のように結局自分自身のこころと最終的に向き合うと言うことに意味があり、またそれがオリジナリティーある音楽性とも結びつくのだと思います。)
まったくスケールは異なりますが、この「蜜蜂と遠雷」の物語の中にも様々な事情を抱えながらも同じ試練の場に立つ若者たちが生き生きと描かれています。ステージの袖に立つときの緊張感、逃げ出したくなるような恐怖に近い感覚、反対に天から何かが降りてくるような高揚感、客席との一体感。
若い人に言いたいことは「好きな事、やりたいことは続けなさい、道はいくつもあります、権威に惑わされず、回り道や迷う事も恐れずに・・・」ということかな。私は現在62才、音楽の事はいまだに良くわかりませんがいまもそのなかにある神秘と永遠を信じています。(なんだか信仰告白みたいですね。)いつミサイルが飛んでくるかもしれないようなこんな時代だからこそ、敵意や憎悪をあおる事には与せず、価値あることに心のエネルギーを注いで生きたいものです。
私が小学生だった昭和40年代(古い!!)、家の中でひとり遊んでいたい自分を母が良く買い物に連れ出しました。野菜、肉、魚など、生鮮3品の殆どを近くの個人経営の商店で買い求めていました。
「奥さん、今日はこの秋刀魚、活きが良くて美味しいよ!買わなきゃ損だよ!!」
「あら、ホント、でもこちらの方が鮮度がよさそう、脂ものっているし・・・こっちにするわ。」
「あと、このアジ3枚におろしてもらえる?それとこのマグロはお刺身用に切ってね」
「アイヨ~奥さん!いつもありがとね!!このサケの切り身一枚サービスね!」
こんな調子でお店の若衆と買い物客との間で丁々発止のやりとりがあちこちで始まります。
このような活気が現代の小売りの現場から消えて久しくなります。店頭に露出した対面量り売り販売は見ていて楽しいものでした。魚もお肉もできるだけもとの状態で陳列され、注文を受けてから手際よく切り捌かれてお客さんに手渡されて行く・・・ライブ感いっぱいで子供心にも強く印象付けられた一こまです。
最近はスーパーでもきれいに切り分けられ個別にパックされているものばかりになりました。そのほうが効率面でも衛生面でも良いということなのでしょうが、パックの中でも生鮮品の品質は確実に変化していきます。
コーヒー豆も生鮮品です。生鮮品は刻一刻その品質を変化させていきます。きれいなパッケージに包まれて陳列されているコーヒー豆も時間の経過と共に変化してゆきます。店のスタッフはその変化を皮膚感覚で感じ取り、コーヒー豆たちと対話しながら店頭にある商品の品質が常に適正である状態をキープしなければなりません。店頭に並べて「OK」の世界ではありません。あらゆる手段を使って鮮度と品質を保たなければなりません。
より良い商品を得て頂くためにはお客様にもコーヒーの特性を理解して頂きたいと思います。誤解を恐れずに言えば、「焙煎後の鮮度が良いコーヒー豆ほど味の経時変化が大きい」ということです。コーヒーの味わいには「ゆらぎ」があり、常に同じ味わい、と言うことは厳密に言えばありえないのです。五感を駆使して「自分にとってベストなコーヒー」を探し出してください。きっと「悩ましくも楽しい経験」が待っていると思うのです。最近ではお客様にいろいろな情報を教えて頂くことも多くなりました。双方向の情報交換でより活きの良い売り場を作っていくことが出来れば幸せなことだと考えています。
さて、買い物は楽しくなければなりませんね。その大前提として商品にはお値打ち感があり、品質はお客様のご期待に応える、またはそれを超えるものであること、そしてもう一つ大切なことは「選択の幅」です。スペシャルティー、プレミアム、コモディティー、御予算の範囲のそれぞれの商品群でご期待通りの満足感を得て頂くために私たちは最大限の努力をいたします。
1983年の創業以来、私たちは「実需に即した商品群」を取りそろえてお客様をお迎えしてまいりました。豊富なラインアップに加えて、最近では単一農園もしくは限定された地域で栽培され精選方法にもこだわったシングルオリジンコーヒーも提案させて頂いております。いま話題の「シングルオリジンコーヒー」ですが、スペシャルティークラスのこれらの商品も当店では「あまり高くない価格」であることにお気づきになられると思います。誤解して頂きたくないのですが・・・私たちは決して「安売り」はしません。もちろん店頭においては「特売日」はあります、が、すべて「回転」させるための手段です。
生産者が多くの手間隙をかけた「大地の恵み」たるコーヒー豆たちの本来持っている魅力を存分にお客様にお伝えしたいが為の価格設定だと御理解下さい。
これからも一般の消費者の皆様にはより高い満足感を、飲食店 、喫茶店やカフェ経営者の皆様には末永いお店の繁栄を得て頂くために最大限のお手伝いをさせて頂きます。
楽しいお買い物を・・・
2013年、インドネシア スマトラ島トバ湖畔パラパットのホテルよりトバ湖を望む