先日弊社ホームページのブログに
こんな事を書きましたが、
その数日後、「信濃毎日新聞」にいま放映されている「真田丸」の主役堺雅人さんのインタビュー記事が載っていました。以下、抜粋です。
県内各地でのロケの印象や、長野県について聞かれて、
「ひと言で言えば多様性ということですかね。ぼくら他県人からみて、信濃って分かりにくい土地なんですよ。各地にいろんな文化があって、溶け合わずに長野県というひとつの県にまとまっている。ある意味奇跡だと思います。でも腰の強さというんですかね、一つの価値観に染まらず、いろんな文化があってお互いブウブウ言いながらまとまっているというのは、ある意味理想の共同体のような気がしています。」
堺さんも長野県各地を廻られて「長野の多様性」を感じられていたようです。
長野(信濃の国)はたしかに山や谷によってそれぞれの地域が分断されてその地域独特の文化を強く残してきたようです。さらに戦国時代の列強の覇権争いに巻き込まれた歴史に由来することも大きいのではないでしょうか。武田、織田、徳川、そして上杉勢の先鋒として常に戦場では最前線に立たされ信濃勢同士で血で血を洗ういくさを経験してきた、そのような理由もあると思います。真田の里で有名な上田や小諸、佐久などの東信地区、特に佐久は武田氏の侵略に頑強に抵抗して最後まで信玄を悩ませました。諏訪や伊那は武田の旗の下、あともう少しで上洛を果たし、天下統一の夢を実現できたかもしれませんでした。そんな誇りと、しかし甲斐に侵略され最後は織田に蹂躙された、という複雑な思いがあります・・・。北信濃は戦国大名で猛将として名高い村上義清に率いられた武将達が武田信玄の北信への侵攻を食い止めていましたが、最後は追い詰められ越後の上杉謙信を後ろ盾とするようになります。2大勢力に分断された信濃の国、その後はご存じ「川中島の合戦」へと突き進んでゆきます。上杉贔屓の北信と武田信玄と命運をともにせざるを得なかった中南信の交流がいまいち盛り上がらないのも、これがひとつの要因といえるかもしれません。(過去に囚われ過ぎている、というご批判は甘んじて受け入れます。)
「信濃の国」は連邦制(?)と言えるかもしれません。県議会でかつて長野をふたつに分けようという提案があった時、どこからともなく議場で県歌「信濃の国」の合唱がはじまり事なきを得た、といいます。このときふたつの県に分かれなくて良かった。文化の違い、考え方の違いは強みなのですから。そんな思いを胸に抱きながら歌ってみると味わい深いですね。
ちなみに・・・、わたしはそのような「異文化のサラダボール」状態の長野を、コーヒーの力によってそれぞれの地域や人を結びつける・・・という野望(?)を抱いております。というか・・・美味しいコーヒーが介在すると自然にその地域の「血流」が活性化するのです。私たちはせめてそのポンプの役割を果たせたら良いな、と夢想しています。